ニース

南仏 ニース

マティスの足跡を辿る

南仏ニースの太陽は、世界の巨匠とされる多くの画家にも愛されたエリアで、今でも彼らの住んだ家やアトリエ、美術館などを訪れることができます。

アンリ・マティスも、南仏ニースの光に魅了された画家の一人。

マティスの足跡を辿りながら、美しいニースの街々をまわってみましょう。


Henri Matisse‐アンリ・マティスとは?

マティス
Henri Matisse(1869‐1954)

マティスは1869年にフランスの北部、カトー・カンブレシに生まれます。

法律を学び、仕事も始めますが、21歳の時に病気になり気晴らしに始めた絵に夢中になったのが、画家を志したきっかけとなります。

パリを拠点にしていたマティスでしたが、旅を好む人で、1917年に初めてニースに滞在してからは定期的にこの地を訪れるようになります。

1938年からは本格的に住居を移し、1954年に没したのもニースでした。


マティスが恋した、南仏ニース

曲線を描く天使の海岸に沿って椰子の木が並び、青空に輝く太陽が海に反射し輝いています。

1年で300日以上が晴天に恵まれるニースは光の町。

海岸通りを歩けば、曇天続きの冬のパリからニースに降り立ったマティスが、この光に魅了されたことを実感します。

Quand j’ai compris que chaque matin je reverrais cette lumière, je ne pouvais croire à mon bonheur.
翌朝またこの光が見られると知ったとき、私は自分の幸運が信じられなかった。”

【ニース観光】マティスの足跡を辿る

ニースの街を散策していると、マティスの作品の中に見られる風景が多く残っています。

そして作品を目で見るだけではなく、肌で感じられるのもこの街の素晴らしいところです。

1917年『ニースのインテリア』

マティス‐ニースの室内

1917年12月、マティスが初めてニースに訪れて、滞在したのはニースのホテル ボー リヴァージュ(Hôtel Nice Beau Rivage)でした。

海に面した窓がある部屋で、マティスは最初の絵画ニースのインテリア」を描きます。(シカゴ美術館所蔵)

マティスはしばしば若い女性を絵のどこかに登場させます。この作品では、当時マティスのモデルを務めていた、地元ニースの女性アントワネット・アルヌーが描かれています。

ボー リヴァージュ ホテルは、現在100年の歴史を誇る4つ星ホテルで、シックで現代的な装飾が特徴的。

プライベートビーチがあり、海、旧市街、中心部というロケーションにありニースでも人気の高いホテルです。

ニース観光で記念に宿泊してみてはいかがでしょうか。

Hôtel Nice Beau Rivage(ボー リヴァージュ ホテル)

Informations

住所24 Rue Saint-François de Paule, 06300 Nice
公式サイトhttps://www.hotelnicebeaurivage.com/

1918年『窓辺のヴァイオリニスト』

その後、工房を探していたマティスは、友人から、ボー リヴァージュ ホテル近くのアパートを借りました。

彼の息子ピエール・マティスは、絵画「窓辺のヴァイオリニスト」のためにそこでポーズをとります。

この絵画はパリのポンピドゥーセンターで見ることができます。

1921年マティス『ニース時代』

1921年、マティスはニース旧市街の賑やかなサレヤ通りの端にあるアパートに引っ越します。

海を見下ろすバルコニーで、マティスは静物画、室内画、裸婦画、オダリスクを描き、彼の「ニース時代」を特徴づけました。

ニースの美しい光と、花や木、そしてマルシェに並ぶ野菜などの鮮やかな色に、マティスはどれほど心を躍らせたでしょうか。

彼は、モチーフそのものを描くと同時に、そこから受けた感情をも描きました。そして、人生における歓びのみを描こうと決意し、意思をもって実行したのです。

それは、彼が自分の人生において切実に求め続けたものでした。

これら3つの作品はパリのポンピドゥー・センターで見ることができます。

1939年マティス第二の生『切り紙絵』

マティス

第二次大戦中、ニースへの爆撃を危惧したマティスは、ニースの郊外ヴァンスの町に移り住み、1948年までそこで暮らします。

70歳のマティスは、病を得てベッドと車椅子を行き来するような生活に。

この頃から「切り紙絵」に取り組むようになります。

「切り紙絵」は、あらかじめ色を塗った紙からハサミで形を切り抜き、それらを組み合わせて図像を作る手法。

色彩と線描の関係を追求し続けたマティスの終着点と言えました。

その切り紙絵の代表作が、1947年に出版された、紙絵20点をまとめた版画『ジャズ』です。

色彩についての本を作ってほしいという希望に応えた本『ジャズ』

マティス
イカロス‐ポンピドゥー・センター

『ジャズ』の中に描かれているのは、サーカスや民話、旅行の思い出から取られたモチーフ。

道化師や玉乗りをするゾウ、空中ブランコなどのサーカスのイメージや、狼、イカロスなどの童話や神話のキャラクター、そしてタヒチで見た礁湖のイメージなどが表現されています。

1951年マティス晩年の集大成『ロザリオ礼拝堂』

1948年、マティス80歳の時に南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂の内装デザイン、上祭服のデザインを担当します。

この礼拝堂はマティス芸術の集大成とされ、切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスや、白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、20世紀キリスト教美術の代表作と目されています。

マティスが重い病気だった頃に彼の看護婦であったジャック・マリー(後に修道女となった)の「礼拝堂を作りたい」という願いを聞いて、1948年から礼拝堂の製作を始め、4年かかって1951年に作り上げました。

中に入ると大理石の床や白タイルの壁に映った黄・緑・青のステンド・グラスの光が印象的です。
黄色は太陽・神の光を象徴し、緑色は自然・植物を表し、そして青色は地中海と空を表しています。(礼拝堂内は撮影禁止となっています)

ニースから少し足を伸ばして、マティス晩年の作品を訪れてみませんか?

La Chapelle Matisse(ロザリオ礼拝堂)

Informations

住所466 Av. Henri Matisse, 06140 Vence
料金7€
営業時間10:00-11:30、14:00-17:30
休館日日曜日、月曜日
公式サイトhttp://chapellematisse.fr/index.php

▼「マティス作品」完全ガイドブック


1954年11月3日マティス死去

マティスは1948年にニースに戻り、1954年11月3日に自宅で亡くなりました。

彼は、Monastère de Cimiez(シミエ修道院)の近くの墓地に埋葬されています。

マティスが最期を迎えたアトリエと、彼が眠る墓所のすぐそばには現在、マティス美術館があります。

館内には油彩画、下絵として描かれたデッサン画、彫刻、オブジェなどが展示されており、制作を開始した1890年から亡くなる1954年まで年代別に、マティスの作風の変遷を辿ることができます。

ニース観光でぜひ訪れていただきたいスポットです。

Monastère de Cimiez(シミエ修道院)

Informations

住所Place Jean-Paul II Pape, 06000 Nice
料金無料
営業時間08:00-19:30 土日-18:00
休館日なし ※不定休あり
アクセシビリティ身体が不自由な方も入場できます

Musée Matisse Nice(マティス美術館)

Informations

住所164 Av. des Arènes de Cimiez, 06000 Nice
料金12€ 18歳未満無料
営業時間10:00-18:00
休館日火曜日
アクセシビリティ身体が不自由な方も入場できます
公式サイトhttps://www.musee-matisse-nice.org/fr/

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【パリ五輪聖火リレー】南仏ニースに到着

パリ五輪の聖火リレーは6月18日、南太平洋などの海外領土を巡って再びフランス本土に戻り、南東部の拠点都市、ニースに到着しました。

映画祭で有名なカンヌでは、米俳優のハル・ベリーさんらが聖火を手に登場。

ニースでは、現役引退したばかりの元女子テニス選手、アリーゼ・コルネさんらが走りました。

聖火は、マティスが滞在していたホテルや住居の近くも通過しました。

1年で300日以上が晴天に恵まれるニースは光の町。聖火リレー当日も好天で、マティスが、この光に魅了されたことを実感します。

最終走者を務めた、陸上男子400メートル障害の元世界王者、ステファン・ディアガナさんは「大勢の観客がいて感動した。最後を飾ることができて誇りに思う」と話していました。

オリンピック聖火リレーは、次なる街を目指します。


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